2012年8月26日日曜日

異人たちとの夏 ~浅草への旅


今はどうか分からないが、私が子供の頃、東京に住む人々はその多くが地方出身者だった。東京の街もこの時期ばかりはゆっくりとした時間が流れている。

私の好きな映画に1988年に公開された「異人たちとの夏」という映画がある。主演は風間杜夫、秋吉久美子、片岡鶴太郎で、物語の舞台は東京・浅草である。

ストーリーは、シナリオライターの風間杜夫が、仕事帰りにふと銀座線に乗り、故郷の浅草へ向かう。夏の夕暮れ時の浅草を歩き、鰻を食べ、煎餅をほおばり、六区を歩きながら浅草演芸場に入る。ふと前方の席を見ると何やら知っている男がそこにいた。
なんと幼いときに事故で死に別れた父親だった。何事もなかったように、父親は近づき家に行こうと誘う。すっかり日が落ち路面が濡れた夜の浅草を歩きながら、かつて住んでいた家に向かうと同時に事故で死に別れた母親が向かえてくれた。
次第に自分よりも若い親たちとの奇妙な交流が始まるが・・・やがてお盆が訪れ別れの時がやってくる。

この映画の魅力は、浅草という街のどこか懐かしく、もの悲しい雰囲気を見事に映画の中で描いている所にある。タイトルの異人とは、幽霊を示すのだが、観光客や外国人、ホームレスや職人、ストリッパーや芸人など、あらゆる人々が集まる浅草は、今でもあの世の者たちが混ざっていてもおかしくないと感じさせてくれる街である。

この映画を見て以来、いつか夏の浅草でゆっくりと過ごし、演芸場などを覗き、夜の街を歩いてみたいと思っていたが、ついに今年の夏、浅草で二泊三日過ごすことにした。

初日

映画の展開と同様に新橋から銀座線に乗り浅草で下車し、隅田川にかかる駒形橋の橋詰めに近い出口を上がると、東京スカイツリーを見上げる人々で溢れていた。夏の日差しが強烈に照りつける中、雷門方面へ歩き出した。
すしや通りとたぬき通りに囲まれた一角は、古い寿司屋や釜飯屋、割烹などがあり、丁度昼時だったので、いかにも古そうな「紀文寿司」に入ることにした。曇りガラスの戸を引くと店内は20名程度のコの字カウンターと奥にテーブル席があり、思ったよりも広い店であった。先客は奥に1名、老主人の前に常連とおぼしき客が1名だった。

私は入口に近い席におもむろに座った。握りを注文すると40才後半程度の寡黙な若主人が、緊張感を出しながらテキパキと仕事を始めた。
横では、老主人が常連を相手に色々と浅草の近況を話していた。

客「浅草もスカイツリーで人が増えたねぇ~」

主人「いや、でも皆、仲見世を歩いて浅草寺をお参りしたら、すぐバスに乗ってスカイツリーに行くから、この辺りに観光客なんか来ないんだよね~。ホンとはちょっと離れたところに良い店があるんだけどね~」

この店から雷門と仲見世は目と鼻の先、観光客で歩くにもままならないほど混雑しているのが俄かに信じられないくらい、静かで穏やかな時間が流れていた。

一方の若主人は、きっちりと私の食べるタイミングを図りながら、黙々と寿司を握っていた。


 

映画の設定と同様、夕方から演芸場に入るつもりなので時間はまだたっぷりある。
紀文寿司を出て、ぶらり街を歩きながら写真を撮影、何だかんだでひさご通りのアーケードを抜け千束通りを進み、吉原まで歩いたところでちょっと休憩。
再びひさご通りまで戻ると、既に1730分頃になっていた。

ひさご通りの裏手には、在日の人々が暮らす一角があり、狭い路地に面して焼き肉屋が数件ある。以前から気になっていたが、この際入ってみることにした。

さてどの店を選ぶか?
こうしたときの私の嗅覚は鋭い。先客の声が漏れちょっと活気がありそうな店よりも、お婆さんが一人テレビを眺めている客が誰もいない小さな店を選んだ。

「大丈夫ですか?」

「あぁ~、いいですよぉ~」

品揃えは多くはないが、値段は比較的手ごろな価格である。とりあえず1300円の上カルビと300円のライスを注文した。

「は~い、ちょっとまってね」と足の悪いお婆さんが奥に引っ込み、肉をそろえ始めた。

テレビのオリンピックのニュースを眺めていると、間もなく銀皿にのった肉が登場する。
なんと妙に肉の量が多い。しかも2種類である。
どうも、お婆さんが「上カルビとライス」を「上カルビとロース」に聞き違えたようだ。
ところが、なぜかその後ライスが登場した。まぁ、ここで騒ぐのも野暮というもの。ありがたく頂くこととした。そこで娘さんが店に入ってきてお婆さんと交代。

お婆さんは杖をつきながら、

「ど~も、ありがとねぇ」と私に声を掛けた。

「お気を付けて」と私。

その後、煙もうもうの中、私は大量の焼き肉をひたすら焼き、暇そうな娘さんは、私と一緒にテレビで流れる「笑点」をずっと見ていた。
これもまた何とも緩い、オツな時間が過ぎたわけである(もちろん勘定は2600円であった)。
帰り際、娘さんにこの界隈の話を聞くと、やはりこの店がもっとも古いらしく既に60年ぐらいらしい。結果的には、私の嗅覚通り、この店で正解だったと言うことだろう。

つづく