アメリカ統治下時代、基地の周辺には米軍相手の繁華街(沖縄では社交街と呼ぶ)が多く発生した。社交街は普通の飲み屋街や米兵相手の売春街の場合もあり、売春街としては宜野湾市の真栄原社交街、沖縄市美里(コザ)吉原社交街が有名である。
その他、那覇市内には辻(旧遊郭)、栄町社交街、神里原社交街がある。
沖縄に着いた初日の夜、真栄原社交街、吉原社交街、栄町社交街へ出かけた。
真栄原に最も近い、ゆいレールの古島駅から降りて、タクシーに乗ると運転手はNさんという中年の女性であった。真栄原の通称・新町までをお願いすると、地元の方なのですぐ目的は察するようである。横浜から沖縄の裏町を見に来た旨話すと、道中色々と案内してくれた。
真栄原社交街は浦添市のキャンプ・キンザーに近いが、基地の目の前ではなく普通の住宅街の奥まった一角にある。
中心地から少し離れた入り口には「真栄原社交街」のゲートがあり、しばらく進むと四角い街の一角にたどり着く。 真栄原入口(以下、写真は昼間撮影) |
ちょんの間特有の怪しげなピンク色のライトの下にガラス張りの透明サッシが無数に並ぶ。
日曜日の夜だったので出勤者は多くなかったが、女性は日本人で20代中から30代前半ぐらいであろう。客は9割日本人で1割黒人と白人の米兵である。入り口から微笑みかける女性の乾いた優しさと、街中を歩き回る男たちが放つハンターのような独特の迫力。淫靡なピンク色のライト。きつい香水と黴びた建物の混ざった匂いは、紛れもなくかつての横浜黄金町と同様であった。
街を一通りまわり、一種懐かしさを感じながらタクシーに戻ると車はコザに向かって走り始めた。Nさんが以前所属していたタクシー会社は、真栄原社交街に面した場所にあり、内部の事情を簡単に話してくれた。
「ここは住宅街の中なので、最近は警察の手入れも多く、0時には電気を消しているさ。いずれは無くすみたいね。沖縄の子と内地の子が半々ぐらいらしいね。次に行く吉原はもっと年の人が多いけど、真栄原で働けなくなった人が移ることもあるみたいよ。」
Nさんはかつて、米軍の基地で働いていたとのことで、コザへ向かう途中の基地の状況を話してくれた。PXでの物の買い方。浦添市から北の街の店は、大抵カウンターに円とドルのレートが併記されていて両通貨が使えること。基地の勤務の仕組み。米兵の生活。
実に多岐にわたって話をしてくれた。 丘の上から見える普天間基地の明かりを眺めながら、ちょっとした基地巡りナイトクルーズになったのである。
胡屋十字路を過ぎて、坂下のコザ十字路を左に曲がると、まもなく右手の丘の入り口に到着する。
丘一帯の町名は美里町であるが、古くは東京の吉原の名前を冠した吉原町と呼ばれていた。米軍統治下の初期は廃棄物置場だったらしく、その埋立地に繁華街が出来た。吉原は白人専用で、コザ十字路を挟んだ照屋に黒人用の照屋社交街ができた。照屋社交街は現在「銀天通り商店街」となっており存在しない。 吉原中心へ向かう坂道の中程でタクシーを下車した。
すでに21時近くなっており、狭いガラス張りの店舗はすべてピンク色の光が漏れており、通りはタクシーと女性を物色する車で溢れていた。
坂道の細い路地に入ると、嘉手納基地から来た2~3人連れの米兵達が、顔を横に向けながら歩いている。
低層の古ぼけたスナックの狭い入り口に立つ女性は、一部若い娘もいるが、多くは30後半から40を過ぎており、一様に無表情であった。
街を一通り歩いたが、溢れかえる男達はすべて私服姿のアメリカ人の若者であり、まるで日本ではない異国の街にいるような不思議な感覚であった。
ピンクライトに照らされた、まるで母親のような女と交渉する若い白人米兵。ここには戦後の日本の光景が残っていた。
コザからの帰り道、Nさんと沖縄と基地について話をした。
「心情的には米軍基地が沖縄から無くなるのがよいけど、沖縄の経済は基地に頼らないと皆食べていけないよ。私のようなタクシーだって、今見てきた女の子だって皆同じさ。」
そして、ふと思い出したように基地内で起こった昔話を始めた。
「昔、基地からタクシーで米兵を乗せていたさ。日本人の女性で米兵とつきあう子もいてね。でも2~3年で帰っちゃうでしょ。そしたら、その彼の友達とつきあうのよ。そうやって、ずーっと何年も渡り歩いて暮らしている子がいてさ。米兵の間ではすっかり有名になってしまったさ。でも知らぬは当人だけでね。その後、真栄原で見かけたけど今はどうしているか。」
その女の子の流転の人生を思い、また沖縄のなんともやるせない現実を思い浮かべ、2人は車内でしばし沈黙してしまった。
その後、すっかり打ち解けた我々は、那覇市内までの道中、沖縄や横浜の話をしながら盛り上がった。
栄町市場の入り口で車は止まり、Nさんは名残惜しそうに「次また来るときは、連絡ちょうだい」と私に名刺を渡した。 丁重にお礼を述べて、車を降りると暗い夜空に小雨が降り始めていた。
栄町社交街の夜は真栄原や吉原と比較にならないほど暗く静かな場所だった。
「旅館」という看板が出ており、吉原よりもさらに老齢の女性が暗い入り口に立っている。 横目に見ながら街を歩いていると、ビルの暗がりから「お兄さんどう」というしわがれた声がした。
とっさに目を移すと、年齢には合わない白いワンピースをきた老婆が暗い階段に溶け込むように腰を下ろしていた。
店舗を持たないいわゆる街娼であった。
沖縄の夜は本土よりも暗く闇が深い。そして晴れていても何ともいえない独特の湿度がある。
街を一通りまわり、最寄りの安里駅に着くと大粒の雨が降ってきた。
ホテルへ到着すると雨は一段と激しくなり、国際通りは洪水のように水が溢れ、お土産屋の派手な赤いネオンの色が路上で揺れていた。 今日出会った社交街の女性達も、ピンク色のネオンに照らされた狭い入口に立ちながら、路上に激しく叩き付ける雨を見ているのだろう。
私が訪れた直後、真栄原、吉原社交街は、地元の女性団体、市民団体の陳情と警察による相次ぐ摘発を受けて壊滅し、現在はゴーストタウンと化している。