2015年6月28日日曜日

沖縄への旅 アメリカ文化


アメリカと沖縄の本格的な関わりは太平洋戦争後となるが、幕末にペリー艦隊が日本との交渉の前に琉球へ来航し、1853526日に那覇港に入港しており、早くも沖縄をアメリカ領土にすべく画策していた。
那覇泊港近くには、「外人墓地」と「ペリー来航記念碑」があり、横浜との共通点が見いだせる。

太平洋戦争終結後の琉球政府はアメリカの傀儡政権であり、事実上沖縄はアメリカの統治下となった。しかし、アメリカの統治は軍事目的であったため、沖縄古来の文化に対しては、特に厳しい制限はなかったが、そのアメリカ流の影響は生活様式に反映されている。

経済面においては、切手は琉球政府発行で、通貨はアメリカ軍発行のB円(B型軍票)となったが、今回是非それを入手したいと思い、那覇の観光案内所で入手可能な店を訪ねると、老齢の女性が国際通り中程にある切手・古銭売場を紹介してくれた。

 
 
琉球切手
 
B円


また、当時米軍による衛生基準に合格した業者には、Aサイン(Approved(許可済))許可証が与えられており、これもコザの老舗レストランで見ることが出来た。

 
コザのかつてのAサインレストラン
コザのチャーリータコス
 
アメリカの圧倒的な物資の流入は、沖縄の食生活に大きな影響を及ぼしており、現在でもその名残は容易に見つけることが出来る。

沖縄のスーパーで、滞在中の食品の物色ついでに沖縄食材を観察したので簡単に羅列する。
(スーパーなので写真は撮れませんでした)

缶詰のポークランチョンミート(ポーク・チャンプル-として利用される)、コンビーフハッシュは現在でも沖縄の家庭の必需品であり、沖縄物産店でも入手できる。

 飲料はコーク、ペプシ以外にA&Wルートビアや7upなどが当時輸入されたものである。一般的な沖縄の紙パック入り飲料の容量は、500ミリリットルや1リットルではなく、473ミリリットルや946ミリリットルで、一見すると実に中途半端な容量なのだが、ガロンで計っていたことによるアメリカ軍統治時代の名残である。

 
 
 


 
ルートビア

また、那覇市内にはステーキ専門店が多くあるが、沖縄では大きな肉が安く食べられるとのことで、今でも人気があり(今や本土と変わらない値段や量の店もあるので要注意)、必ず輸入ソースの「A1ソース」が置かれている。

沖縄ではハンバーガー・ホットドック・ピザなどアメリカ風のファーストフードが早くから普及し、ハンバーガー・チェーン店の沖縄進出は、マクドナルドの日本進出よりも早かった。

沖縄土産屋に置かれているブルーシール・アイスクリームは、沖縄の米軍基地に従事するアメリカ人向けに、アメリカ人の日常食である乳製品を供給するための施設としてフォーモスト社の工場が基地内で創業した。
 
国際通りのブルーシール直売店

 
今回の旅で、沖縄中部の金武町(キン町)に出かけたが、この地で生まれたのがタコライスである(タコスの具をご飯の上にのせたもので、以外とおいしい)。

 
金武町のタコライス店・キングタコス

 
タクシー運転手が復帰前の話をしてくれた。
「最近の若者は泡盛をロックで飲むでしょう。昔はあんな飲み方はしなかったです。泡盛はコーラかソーダで割って飲んだものです。今でも古い人はこの飲み方をしますよ。もっともあの頃の泡盛はえらい匂いがしましたので。我々の世代が一番飲んでいたのは米軍から流れたウイスキーです。今は珍しくもないのであまり飲む人はいませんがね。」
 


 
現在は、これらの食材はほとんど米軍向けではなく、沖縄の住民か観光客向けとなっており、米軍関係者の大半は基地内のPXを利用して米本国の食料品を入手している。
今、沖縄の街中に残るアメリカ食文化はある意味、アメリカにとっても古い文化なのかもしれない。
沖縄の食文化には日本人にとっても、アメリカ人にとってもあの頃を感じることが出来るのかもしれない。